CSO連絡会
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第3回日米CSOフォーラム
 
基調講演:「グローバル市民社会の新しいモデル」

フォード財団
ガバナンス・市民社会プログラム・ディレクター
マイケル・エドワーズ氏


1) 外的状況の変化

 NGOを取り巻く状況はここ10年のあいだに大きく変化した。NGOはまだ世界を変えることのできる存在にはなっていないが、1989年頃からのNGOの活動の世界的な広がりには目覚ましいものがある。私が最初にNGOの仕事を始めたのは1980年のことで、その頃、私には自分が重要な仕事に就いたという意識はあったが、当時NGOの仕事は、決して世間の注目を浴びるものではなく、市民や政治家の特段の関心事でもなかった。

 いまや状況は様変わりした。意志の力、運、影響力の強まりなどの要因がからみ合い、NGOは現代において確実に物事を動かす力となった。そのような今日において、NGOがさらに成長していくなかで、注視しておかなければならない外的要因が3つ存在する。

経済のグローバル化

グローバリゼーションについてはさまざまな議論が可能だが、市場の世界的な統合はますます進みつつあり、世界中の物事があちこちでつながりの度合いを増していることは間違いない。この事態は祝うべきものである半面、憂慮すべきものとなっている。憂慮すべき側の事態を見て、NGOを新たな問題に対する解決策を提供する「対抗勢力」と見なす向きもある。例えば、NGOは、企業の責任を追求し、貧困層の経済発展を助けることで問題解決に貢献できるとか、21世紀における新しい経済モデルを推進したり、倫理的な市場の発展を担うことができるとかという議論が散見される。NGO全体を見た場合、まだNGOがこれをやっているとは言い切れないが、可能性はある。

援助予算の削減と国際協力の増加

 例外はあるにせよ、援助の量は世界中で下がってきている。しかし、援助が必要なくなってきているというよりは、むしろ他のものへ取って代わられているという言い方が正しいだろう。第三世界の社会経済に変化をもたらすものは、ビジネスを行う新しいルールであり新しい方法である。それゆえ、海外援助は国際協力の大きな輪の中にある小さな一部分を占めるものに過ぎなくなってきている。しかし元来、NGOは援助制度のいわば囚人であり、より大きな国際協力の文脈の中で自らを再定義しなおすことは簡単なことではない。

紛争

 NGOはこれまで、紛争解決においては明確な、しかし限られた役割を担うものであった。私はオックスファムで1980年代に働いていたことがあった。紛争下の仕事というのは困難なものではあるが、なにをどうすればよいかはわかっていた。NGOの役割はできる限り‘状況を緩和する’ことだった。しかし状況は以前よりはるかに複雑化し、非常に微妙なものになりやすい。NGOは、いまや軍隊、メディア、企業といった相手とつきあわなければならない。そこには、政治的や道徳的なジレンマが生まれる。NGOの役割も、より困難なもの、より複雑なものとなってきている。NGOはもはや食料と看護士とともにやってくるものではなく、そういった複雑な状況のなかで判断をくだす行為主体になっている。

2)NGOの対応

 上記のような外的状況の変化は、NGOの質的変化を要請する結果となっている。いまやNGOの説明責任や正統性が重要視されつつある。特に以下の4つの点は考慮すべき事態だろう。

デリバリーからレバレッジへ

 伝統的に、NGOの役割はモノを届けること(デリバリー)であった。この種の作業は大事な仕事である一方、大きな尺度で見ると限られた効果しかもたらさないものである。重要なのは、NGOがいかに大きな変化をもたらすことができるかである。比較的小さなもので、大きな効果をもたらすもの(てこ、レバレッジ)、例えば活字メディアのような役割をNGOが担うことが求められている。そのために、NGOは現場での経験を生かしてそれを大きな変化に変えていく力にならなければいけない。多くのNGOがデリバリー・モデルからレバレッジ・モデルへと自己変革をしていく必要がある。

新しい連携

 私の所属するフォード財団を含め、これまで市民社会組織は、「北と南」、「白と黒」、「富裕と貧困」といった、「トップダウン」の縦の関係による関係づくりのなかで動いてきた。不平等な権力関係に対する異議申し立ての声はあっても、縦の関係が根本から揺さぶられることはなかった。しかし、最近の状況の変化は、この会議の主催団体のような水平なネットワーク関係の促進を要請している。そこで思い描かれる関係は、平等な他者との関係である。水平の関係が望ましいものであるとの認識は進んでおり、それはとても好ましいことだが、同時に、資金にはそれが出てくる源があるということは、まだ私たちが縦の関係に捕われている現実をつきつけており、これは価値や心理の問題にも影を落としている。さまざまなレベルで顔を見せるこの問題をどう乗り越えるかは大きな課題である。

キャパシティとキャパシティ・ビルディング

 こういった変化は、NGOの力量と、必要とされている力量強化(キャパシティ・ビルディング)の問題にも絡んでくる。伝統的に、キャパシティ・ビルディングとはプロジェクト・サイクルおよび資源の管理を基礎としていた。これらは重要な問題ではあるが、限られた問題であり、しかもNGOの伝統的な境界を広げるものではなかった。例えば、紛争状況にある時、どんな能力や技能が必要だろうか。効果的な財務管理とはいかなるものを指すのであろうか。このような状況では、政府や軍隊といった相手とどの程度の距離を保って関係を構築すべきかなど、求められる判断力はとても高度なものである。ここで求められる能力は伝統的に求められていた能力とは随分違うもので、大部分のNGOはそれをもち合わせていない。

正統性(レジティマシー)と説明責任(アカウンタビリティー)

 最近、NGOの正統性に関する議論はよく目にするが、過去にNGOの説明責任に関して懸念を表明する人はいなかった。単にNGOの行動は自動的に正統性のあるものと見なされていたからである。しかしながら、今や人々は、NGOに対し、貧困層のために発言するいかなる権利をNGOがもっているのか、と問いかけている。これが正統性の問いかけである。

 これはとても厳しい問いかけである。よく正統性と説明責任に関する混乱が見られ、選挙のプロセスを経ることでのみで確保されるものだと思われがちである。しかし、専門性や理事会への説明責任といった正統性の確保の仕方もある。正統性をどのように求め、またNGOが誰に対する説明責任をもっているのかといった設問の意味は、どんどん拡大し複雑化してきている。NGOは同時に多くの異なる対象に向かって説明責任を負っているのである。

3)市民社会におけるNGOの位置づけ

 今後、NGOは私たちが創りたいと望む社会の模範となるための一層の努力をしなければならない。そのためにはNGO自身が、民主的で、結果重視で、透明性のあるものでなければならない。そうであって初めて、NGOは市民社会の中で位置を占めるに値する存在となり得る。このようなNGOに対する呼びかけは奇妙に聞こえるかもしれない。そもそも市民社会ということば自体が議論を呼ぶことばで、人によって異なる定義がいくつも存在する。しかし、定義はどうあれ、NGOは自らが市民社会の一部であるかどうかをよく考える必要があり、それには多くの理由がある。

 市民社会は政治的な実体であるが、現在、NGOはサービスを提供する経済的な行為者である。市民社会におけるよりプレゼンスの強い存在となれば、NGOは社会との接点により健全さを保つことができるようになるはずだ。現時点では、政府がNGOの主なドナーであることから市民社会とのつながりは総じて弱い。NGOはもっと社会のなかに存在していなければならない。それは、単に仕事を請け負う立場ではなく、仲介者となることを意味する。現在NGOは意識的に自らを市民社会のなかに位置づけることをしていない。むしろ、NGOは、市民社会、市場、政府の三者のあいだに位置していると見ていることが多いようである。というのは、それがビジネスや政府を変えるためにもっとも効果的な位置づけだと考えているからである。NGOは単に市民社会の一部であると見られることは望んでない。ここで重要な点は、市民社会の「一部分である(of)」ということではなく、市民社会の「なかにいる(in)」ということだ。他との橋渡しになることや、この立場を有利に利用することは大事なことである。状況の変化のなかで、橋渡しの重要性は高まる一方である。NGOの将来的な役割は「つなぎ役」なのである。NGOは21世紀の連携におけるカギを握っており、将来のために関係構築をしなくてはならない。

 NGOの運営に携わる者は、以前よりも困難な役割を担っている。ビジネスにおける経営者のような役回りに加え、異なった倫理規準のなかで判断を迫られる。また、NGOマネジメントのために参考となる文献や理論体系は少ないため、多くはビジネスモデルを援用している。しかしながら、将来のためにNGOマネジメントの確たる伝統をつくり出すことが必要不可欠である。今回のフォーラムのような集まりは、未来のための新しいパラダイムを開発していくために重要なものである。

質疑応答

Q とても興味深いNGOの将来像が示されたが、すでに「つなぎ役」としての役割を担っている団体はあるのだろうか。

A まず、具体的な団体名を出して紹介するのはよいことだが、決してこれらがモデルではないということはご理解いただきたい。モデルとして取り上げられたとたんに、成長を止めてしまう団体も多いからだ。
例えば、ジュビリー2000やエイズと地雷のキャンペーンは、具体的目的達成のために集まったネットワークで、その組織は水平的な横のつながりでできたものである。メディアの使い方をよく知っており、高い知的能力をもった集団だ。最近オックスファムが出したレポートも、過去のものに比べかなり水準が高くなっている。政府はこれらに対しては真剣に対処しなければならない。これらのNGOネットワークは確実に具体的な成果を生み出しており、彼らの事例から学ぶべきものは多い。
 他の例としては、小さなNGOに大きな期待を寄せることができると思う。彼らはいわば急流下りのいかだのように、波しぶきを上げ、速い流れのなかを川中の岩とぶつかりながら動き回ることができる。古参の超大型タンカーになってしまうと、確かに現実は熟知しているかもしれないが、組織を守るために受け身になることも多い。前者の例としては、ロンドンにあるニュー・エコノミクス財団があるが、とても適応性が高い集団だ。適応性が高いまま超大型タンカーになることは不可能だろう。これは論議を呼ぶ点だが、組織の規模と柔軟性のあいだには明確なトレードオフが存在している。

Q NGOがつきつけられている新しい現実を考えると、NGOがよりビジネス化し、NGOとコンサルタントの距離が縮まっているように思える。2つの違いと、NGOが市民社会の「一部分である(of)」べきかどうかについてお伺いしたい。

A NGOとビジネスの違いは時にわかりにくく、したがって定義は大事だが、NGOは自身が何者であるかということに正直である限り、どのような存在でもよいのだと思う。現実には、その意味で不誠実なNGOもあり、そうなると市民社会からの信頼を失ってしまう。
 優秀であれば、その団体がNGOであれビジネスであれどちらでもよいということだ。最近、多くのNGOが、大きな財源から契約を取りつけるために、NGOからコンサルタントに転身している。市民社会に身をおくNGOがコンサルタントと同じと見られたら、それは正しい像ではないが、今それが起こりつつあることなのかどうか、私には正確にはわからない。大切なことは、組織が何を目的として存在し、何を行っていると世の中に吹聴しているかだ。最善の方法でベストをつくしていれば、組織のビジョンがある程度浸食されていてもよいのかもしれないが、もちろんこれは程度問題だ。

Q 地域レベルで起こっていることと、政府や国際NGOはどのような関係性をもてるのだろうか。別言すれば、理論と実践はどうつなげられるのだろうか。現場での知識や学びを政策決定者に伝える効果的な方法を考えたいのだが。

A とても残念なことは、大学、NGO、政府間の連携というものがほとんどなされてきていないということだ。私自身、この問題にはもう15?20年間取り組んでいるが、それぞれに問題があるといえる。NGOは大学と一緒に仕事をしたがらないし、大学もNGOとつきあっていくことに逡巡しがちだ。将来のためには緊密な連携が不可欠であるにもかかわらず、関係構築は困難であり、私もずっと頭を悩ましてきている。
 理論と実践をつなぐことは、NGOの得意分野だと思う。さきほどのキャンペーンの事例などは、政策の変化をもたらすために現場レベルの情報をメディアに流し、ミクロとマクロのギャップを埋めた。このための技術や方法はすでに存在しているといえる。これこそが、NGOのコネクター、仲介者、橋渡しとしての機能であり、今後の鍵である。NGOは、知識や知恵の仲介者としての評判を確立する必要がある。もちろん、知識や知恵の統合は簡単な作業ではない。現場の実情が複雑極まりなく、はっきり言って「渾沌」であったとしても、NGOはマクロの視点に立った明確な声を発することができるはずだ。そこには、正直であることと、いかに伝えるかの問題がつねにつきまとう。なかには、発表する「事実」が現実をゆがめていると批判されているNGOもある。ウガンダの3つの村のことを「貧しい人々の声」を代表するものとして発表してよいのだろうか。それは単に政府にロビー活動をするための情報操作なのだろうか。答えは簡単ではない。
 
   
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