「オブシーンな世界」を乗り越える?〜持続可能な開発目標と市民社会

10.05


【2015年10月5日 編集部発】2015年9月25〜27日にニューヨーク(米国)の国連本部で開催された持続可能な開発サミットにおいて持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals=SDGs)が採択されたことを受けて、当団体の代表理事を務める今田克治はハフィントン・ポスト日本版に「オブシーンな世界」を乗り越える?〜持続可能な開発目標と市民社会と題する寄稿を行いました。

前回のブログで、ニューヨークの国連ビル周辺はお祝いムードに包まれていると書いた。確かに、「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals、SDGs)」が加盟国に限らずNGOや民間セクターや研究機関を巻き込んで採択されたことは、「お祝い」に値するできごとといえる。

とはいえ、ニューヨークのあるサイドイベントでNGOの発言者が「ハネムーン期間はなしね」と言ったように、交渉に関わった市民社会(*1)は採択を一つの通過点としてみており、早速ギアチェンジをしてSDGsの履行をいかに市民社会が監視すべきかという議論に移っている。その背景には、世界の現実は市民社会が望む方向に進んでいないという焦燥感がある。

オブシーンな世界

ここ10年もさかのぼればよいだろうか。グローバルな領域で活躍する市民社会組織の中心的な感情は「怒り」である。公正な社会を願い、それを要請しているのに国際社会がそれに明解に答えないという「怒り」。しかもそれは、理性的に「正しくない」という判断して出てくる感情としての怒りや理解に苦しんで自然に「腹が立つ」といった反応を容易に通り越している「怒り」である。

全文はハフィントン・ポスト日本版をご覧ください。

▼「オブシーンな世界」を乗り越える?〜持続可能な開発目標と市民社会
http://www.huffingtonpost.jp/katsuji-imata/obscene_b_8238476.html

出典:ハフィントン・ポスト日本版
原題:「オブシーンな世界」を乗り越える?〜持続可能な開発目標と市民社会
URL:http://www.huffingtonpost.jp/katsuji-imata/obscene_b_8238476.html

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