援助効果から開発効果へ ポストMDGsの見通しは

02.28


CIVICUS渉外ディレクターのアンリ・バロー(Henri Valot)氏は同団体のブログにて、MDGsのポスト2015年開発目標アジェンダに関する見解を次のように示した。

援助から開発へ

ミレニアム開発目標(MDGs)の考えや目標のもととなったのは、1995年の経済協力開発機構(OECD)による素案だ。MDGsの目標を見ると、8つの中で7つがパートナー国(被援助国)のためのもので、目標8においてのみ先進国への言及がなされている。これらは、MDGsがドナー側(援助国)によって主導されたものだということをよく示している。

この結果、MDGsを自分のこととして考える開発アクターは少数にとどまった。例えば、各国のMDGsの達成状況を報告するMDGs国別レポートのほとんどは、国連開発計画(UNDP)各国事務所の職員が素案を作成している。そのため国連は 、2003-04年に国連ミレニアムキャンペーン(United Nations Millennium Campaign)を立ち上げ、各国政府や関係者のオーナーシップを高めようとした。

CIVICUSはMDGsに対して責任を担う市民社会の一員として、2005 年に世界的な貧困解決ネットワークGlobal Call to Action against Poverty(GCAP)の設立に貢献した。GCAPは英国でのMake Poverty Historyや米国でのOneなど、援助の質および量の向上を訴える魅力的なキャンペーンを通じて、ドナー国での成功を収めた。

しかし、これらは「援助」が貧困開発をめぐる議論の中心だった頃の話しであり、時代は変わった。例えば、2005年の英国でのグレンイーグルズ・G8サミットでなされた公約の履行状況監視を目的に発足したNGOであるアフリカン・モニター(African Monitor)は、活動の中心をもはや援助の仕組みには置いていない。現在同団体は、アフリカの経済発展の可能性とガバナンスやアカウンタビリティーに力を注いでいる。ドナー国からの援助の減少は、確実に国際舞台における力関係を変化させている。そして、ドナー国側は言説を「援助効果」から「開発効果」の議論へとシフトしている。これは、私たちが常日頃から求めてきたことでもある。しかし、語られている「開発」が何を意味するのか立ち止まって考える必要がある。

開発をめぐる議論の行方

その答えを探るためには、第4回援助効果向上に関するハイレベル・フォーラムの成果文書「釜山宣言」に目を向けるだけで十分だ。釜山宣言は、開発における民間セクター参入への道を大きく広げた。これは、経済成長は開発を推し進めるという通説にもとづくものだ。しかし、経済成長中心の開発モデルは明らかな失敗だということはいくどとなく証明されている。例えば南部アフリカのアンゴラでは、経済が二桁成長を遂げているにもかかわらず、国民の90%が医療や教育などの必須社会サービスの確保で苦労している。

21世紀に求められる、万人のための開発とは何なのか? この答えのキーワードとなるのは、持続可能性だ。持続可能な人間開発には様々な方法が考えられるが、ここでは著名な経済学者であるステファン・ヴィルダー(Stefan Vylder)氏(※1)の言葉を紹介する。同氏は「人々の知識や能力経験、文化、そして創造性こそがもっとも価値のある資源だ。伝統は資産であり、負債ではない。これらの認識にもとづく開発アプローチでは、社会を構成する人々自身をもっとも重視する。これを実現するためには、相互依存や協働、信頼などを基盤とする強靭な市民社会こそが、持続可能な人間開発を支えるもっともよい方法だ」との見解を示している。

このような指摘があるなかで、国連や各国政府はポスト2015年開発目アジェンダの策定にあたって、市民社会に「助言を求める」だけにとどまるのだろうか。もしも、真剣に現代の包括的な目標を構築したいのであれば、開発と民主主義実現におけるアクターの多様性を無視できないのではないだろうか。

※1 1990年代にUNDPの政策ワークに大きな役割を果たした経済学者

ポスト2015年開発アジェンダの見通し

これらの見解をもとに、ポスト2015年開発アジェンダについての考えを述べてみたい。

・現状では、共通の開発目標への合意は不可能に近い
現状では、共通の開発目標への合意は不可能に近いだろう。もはやドナーのアジェンダは存在しない。また、さまざまな国際会議は、先進国、BRICSおよび途上国の間ではいかなる合意形成もが難しいことを示している。国連は非常に難しい仲介役を担わなければならない。

とはいえ、次の目標に含まれるべき原則を示しておきたい。それは、普遍的適用性をもち、、権利ベースで、野心的、世界規模、包摂的、実践的、さらに、簡単に伝えられるというものだ。

・経済と財政の持ち場を認識させるべき
よく言われることだが、経済は経済学者だけに任せるにはあまりにも重要な課題だ。政治の力とビジョンが、新たな経済の支配者をコントロールしなくてはならない。

・多くの国で開発目標を再定義すること
いくつかの国々は脱成長または安定化の路線を選ばなくてはならないことを受け入れること。農村地域における雇用と、保健・教育分野に多額の投資を行うこと。人権にもとづく開発の好事例から学ぶこと。民主主義と法による統治はあらゆる開発プロセスの本質の一部であることを明確化すること。

・国際的および国内における不公正に制限をかけること
多国籍企業や金融取引、そして富を握るエリート層に税を課すのをためらわないこと。

・民主的社会を支えること
人びとの声が届かない社会、一握りの支配階級に牛耳られているガバナンスや経済のもとでは、社会的および経済的な正義は実現しえない。

CIVICUSとして大切なことは、ステークホルダーの完全かつ公正な関わりを保証することだ。驚くべきことに「市民社会」は、ポスト2015年開発アジェンダに関して2013年3月までという大変短い期間のなかで意見を述べることが求められている。その理由は、潘基文・国連事務総長が2013年の国連通常総会にてレポートを提出するという期限が存在するためだ。しかし、いつ、どこで、市民社会への聞き取りが行われるのかを知る人はおらず、「市民社会」の代表がどのように選出されるのかはわからない。

CIVICUSが「市民社会」全体を代表するかのように発言することはない。しかし、CIVICUSに加盟している団体を代表して何かを発言することはできる。一連の機会から、市民社会が得意とする「要求」を超える成果が期待できる。具体的には、ポストMDGsに対する市民社会側からのコミットメントや主体性、参画の意思表示だ。そして新たな開発目標は、すべての開発アクターがそれぞれの役割を認識して、拘束力のある合意にいたった場合にのみ成功すると私は見ている。

出典:CIVICUS’s blog
原題:“Nothing about us, without us”: some perspectives on the Post-2015 Development Agenda
URL:http://blogs.civicus.org/civicus/2012/10/29/nothing-about-us-without-us-some-perspectives-on-the-post-2015-development-agenda/

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